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日本はおもてなしの精神のせいで没落していく

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東京オリンピック滝川クリステルがOMOTENASHIという言葉をグローバルに広めたいというプレゼンテーションを行い、日本国民は東京オリンピックへの高揚感に包まれた。日本国民の多くは日本文化や日本精神の世界に誇るべき価値観を再確認することになった。

しかし、残念ながら、この「おもてなし」という言葉によって、日本社会は没落していくことになるだろう。

おもてなしが悪いことだと思っている日本人はほとんどいない。そして、もちろん、おもてなしの精神というのは決して悪いものではない。日本に観光に来た外国人は、日本の接客やマナーを体験し、感動を覚え、自国のマナーの悪さを愚痴り、帰国していく。

だが、おもてなしというのは、日本人が考えるほど、世界に支持されている価値観なのだろうか。

日本メーカーが海外進出に失敗する最大の理由は、自国で受け入れられている高品質なものが他国でも受け入れられるだろうという勝手な思い込みである。安全性、安定性、高品質、多機能、こういったものを他国の人たちも求めるだろうという自分勝手な考えにより、サムソンやLGに決して勝てない。

はっきりというとグローバル社会の中流階級が求めているのは、品質の高さではない。
コストパフォーマンスである。
LCCファストファッションが世界的に支持される理由は、セルフサービスでも良いから、そこそこの金額で、無駄のない、適度なサービスを提供してほしいという極めて実用的なバランスなのである。

数年前に、旅館組合が大規模アンケートを行った。
そして、そのデータ分析の結果、興味深かい結果が出た。おもてなしに力を入れれば入れるほど顧客満足度が下がるという相関関係が見られたのだ。これは、一見、何かの間違いに見られた。だが、よくよく調査してみると、宿泊客が求めているのは、中居さんがプライベートな空間や時間に侵入して、布団をひいたりすることではなく、ホテルのように、プライベートな空間や時間を大事にしたいという現代的なユーザのインサイトだったのである。その調査結果のあと、旅館でも、チェックインのあとは過度に接客することをやめてユーザ満足度が上がった。

ここを多くの日本企業は勘違いする。日本品質は海外でブランドになっているから、日本のものをそのまま輸出すれば受け入れられるだろうと誤解する。

そして、同じことが「おもてなし」という言葉にも象徴されている。

はたして世界中の人たちはおもてなしを求めているのだろうか。

まず、日本人が考える、接客やマナーの考え方は他国と異なっている。

例えば、アメリカに行くと、儀礼的なよそよそしい接客よりフレンドリーな接客の方が好まれる。
仰々しく、いらっしゃいませ、とお辞儀されるより、Hiと話しかけて最近どうだい、と世間会話が楽しめる方が望まれる。いくら、相手がぶっきらぼうで、雑な接客態度を取っていたとしても、ジェシーは今日は、ボーイフレンドに振られたから、あんな態度でもしょうがないよなと相手を思いやるというのがアメリカの価値観なのである。

今は急激な変化があると、中国に行くと、店員がお金を投げるのが当たり前であった。そして、レストランの中でも骨や食べかすやタバコの吸殻を床に捨てるのが平気であった。これは、日本人からすると単にマナーの悪さにしか感じられない。だが、いったん、その文化に慣れてしまうと、なんてことはない。むしろ、日本のように細かいことを気にせずにおおらかに日常生活を過ごせるような解放感すら感じられるようになる。

日本人はその点を誤解しやすい。儀礼や儀式的なルールの中で丁寧に物事を行うことが絶対的に良いと教育されるため、それが世界中に通用すると勘違いしてしまう。

まさにガラパゴスである。

おもてなし、という言葉はもう一つの問題を抱えている。

日本社会というのは、一人一人が(世界から見ると)過度な接客をすることが当たり前に求められる社会なので、オペレーションシステムやマーケティングシステムが発達しない。個々人の人的能力に依存することが極めて多いシステムが自然とできあがっている。これは、グローバル社会でなければ、問題ないだろう。しかし、この先、日本だけでなく、世界中が多様性を重んじる社会になるにつれ、問題が表面化していくだろう。

人種や民族や言語や習慣や生まれた国を問わず、誰もが適度やパフォーマンスを発揮し、一定のクオリティのアウトプットを出すためにはどのような仕組みが必要だろうか。日本社会はこういった観点に弱い。あうんの呼吸が美学とされているため、言わなくてもわかるだろうと上司が部下を説教する。「言わないとわからない」のがグローバル社会なのだ。

クールジャパンという言葉が広まってある程度の時間が経つ。そして、東京オリンピックに向けて、ますます政府は日本の良いところを積極的に自国民に宣伝していくだろう。日本の良いところを世界に広めましょうとPRするだろう。

ナルシシズム自閉症が絡み合ったような自国礼賛のテレビ番組が増えている。

裏を返せば、国家のビジョンを誰も提示できていないということである。
高度経済成長を終え、アメリカに追いつけ追い越せで、国民全員が共同幻想の元に幸せな未来に向かって一直線に進んでいた時代が終わった。他国の真似は上手だが、自らビジョンを設計することが苦手な日本社会は、国家のビジョンにすり替えて、おもてなしやクールジャパンという、なんの先進性も設計も戦略もない、幻想的な言葉で国民の自尊心をごまかしながら、2020年を迎えようとしている。

「おもてなし」には、なんの努力も高度な戦略も取捨選択もいらない。なぜなら、それは、ほとんどの日本人が教育の中で当たり前に身につけることであり、自然にできることだからである。

日本社会に今、必要なのは、おもてなしやクールジャパンというなんの意味もないナルシスティックな戯言ではなく、2020年以降、日本社会がどのような国家を目指し、世界に対して、どのようなリーダーシップを発揮していくのかという具体的な戦略である。