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「エデュケーションのジレンマ」に陥るな

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 「イノベーションのジレンマ」という言葉がある。

 

イノベーションのジレンマ (: The Innovator's Dilemma)とは、巨大企業が新興企業の前に力を失う理由を説明した企業経営の理論。クレイトン・クリステンセンが、1997年に初めて提唱した[1]

大企業にとって、新興の事業や技術は、小さく魅力なく映るだけでなく、カニバリズムによって既存の事業を破壊する可能性がある。また、既存の商品が優れた特色を持つがゆえに、その特色を改良することのみに目を奪われ、顧客の別の需要に目が届かない。そのため、大企業は、新興市場への参入が遅れる傾向にある。その結果、既存の商品より劣るが新たな特色を持つ商品を売り出し始めた新興企業に、大きく後れを取ってしまうのである。

 
簡単にいえば、大企業は現在、自社で行っているビジネスにおいて、最大の効果を出そうと最適化をはかるため、新しく生まれてきたイノベーションや新規ビジネスに気がついていたとしても合理性の観点から手を出すことができず(利益が小さい/リスクが大きい)、気がつけば、新たな時代のビジネスに乗り遅れてしまうという現象を指している。
 
例えば、カーナビを開発しているメーカーは、GoogleがGoogleMap上でカーナビもどきの機能を提供し始めたとしても対抗ができない。
 
GoogleMapカーナビのスタート時は機能面も乏しいため、既存のカーナビメーカーはどこも相手にしない。
おもちゃにしか見えない。
しかも無償で提供しているため、ビジネスでなく遊びのようなものだとみなす。
 
自社のカーナビは有償でも十分売れているので、Googleに対抗して、わざわざ無償にするということは取れるはずの売り上げを捨ててしまうようなものだと判断する。
 
Googleカーナビは競合他社も現れず、コツコツと機能を進化させていく。
 
やがて、Googleは既存のカーナビと同等もしくはそれ以上の機能を提供しはじめ、既存カーナビメーカーが気がついた時には信じられないくらい多くのユーザを抱えている。Googleカーナビは、人気となり、一部の機能のみを有料化したプレミアムプランを提供し収益化も成功する。
 
その頃には、既存のカーナビメーカーは瀕死の状態に陥っている。
 
 
現在のビジネスに最適化しすぎると次の時代に適用できなくなるのである。
イノベーションのジレンマはカーナビ業界だけでなくあらゆる産業で日々起きている現象である。
 
同じことが教育システムについてもいえる。
 
今の教育システムに最適化しすぎると次の時代に適用できなくなる。
 
これを「エデュケーションのジレンマ」と呼んでみよう。
 
現在の教育システムの最大の欠点は、正解を教えることを重視していることである。
 
小学校から高校まで一貫して答案用紙に回答して100点満点を取ることが大事だと教育される。
 
大学は本来、自らの研究テーマを持ち、研究テーマについて探求し続ける場なはずであるが、最近は、高校の延長のような場に変わりつつあるといっても過言ではない。つまり、誰かが何かを教えてくれるということを当たり前だと感じてしまう場に変容していっている。
 
本来、人生というのは、何が正解かわからないことの方が圧倒的に多い。
 
社会人になると、誰もが、正解を見つけることよりも、適切な問いを立てる方が重要だと気がつくだろう。そして、自分が立てた問いに対して様々な試行錯誤を繰り返しながら生きて行くのが人生そのものといえるかもしれない。
 
ところが、現在の教育システムに最適化を図り、正解を回答することを過度に重んじてしまうと、物事には何かしらの正解があると勘違いした人間が育ってしまう。
 
お受験といって、小さな頃から正解を教え込むような教育に最適化をはかる親がいるが、これは子供の好奇心を過度に阻害する結果になるため、ほとんど意味をなさない。それどころか、むしろ成長した時に次の時代に適用できない極めて脆弱な人間を育てる結果になるため、百害あっても一利もない。
 
世の中には正解がないからこそ、小さな好奇心の芽を育て続けることが重要なのだが、現在の教育システムでは、ほぼそのような価値観は抹殺されるため、誰もが安易に正解に飛びつく社会が形成されている。
 
検索エンジンで検索すると正解のようなものが見つかる。だが、辞書のようなものは別として、そのほとんどはいい加減なことか他人の意見であり、自分の人生にはほとんど役に立たない。役に立たないことを前提に検索しているならともかく、それを正解と思い込んでしまうと思慮の浅い人間しか育たない。
 
やがて、人工知能が発達すると正解(らしきもの)を見つけることにはほとんど価値がなくなるだろう。
 
囲碁の名人がコンピュータに負けたように、受験の神様はAIの神様にあっさりと負けてしまうのである。
 
その時、現在の教育システムは崩壊し、受験産業のバカバカしさも露呈するだろう。
 
 
 
子どもの宿題が悪影響だという研究結果もある。
当たり前だろう。
多くの子どもたちは、本来、適切な問いを立てる哲学者の素質を持っている。
それを無理矢理、正解らしきものを押しつけ続けるようなことをすると、頭の悪い子しか生み出さないのは目に見えている。
 
「エデュケーションのジレンマ」に陥らないように、私たちは積極的に現在の教育システムを否定するべきである。
 
問いと好奇心を重視して、無駄に見えるようなことを大いに尊重すべきなのだ。いつもテストで100点を取るような子を褒めることを辞めて、いつも空を見上げながら、なんで、なんでと繰り返している子を大事にするべきである。
 
子どもを机に縛りつけてテストで良い点を取ることを強要するような家庭は、時代が変わった時にやがて大きなペナルティを食らうだろう。
 
すでに瀕死しかかっているカーナビメーカーのように。